建築当時、京都最大級の建築物といわれた京都丸紅ビルの外観。
COCON KARASUMAの前身は
近代建築の優雅さとモダンを体現する、
京都丸紅ビル
COCON KARASUMAの建物の前身は、昭和13年竣工の京都丸紅ビル。商社丸紅の前身であり、服飾文化をリードしていた呉服商社の社屋でした。建物はそれに相応しく、当時の京都で最初と言われる8階建の近代的なコンクリート建築。ファサードには白い石の壁、低層部には手焼きのタイルが貼られ、全てのフロアに南洋の高価なイペ材を敷きこんで、商談に訪れる顧客をもてなしました。直線的で力強い躯体とディテールの贅沢さとを兼ね備えたこのビルは、規模でもデザインでも京都を代表する近代建築の名作として、四条烏丸のランドマークとして親しまれてきました。
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イペ材を敷き詰めた床イペ材を敷き詰めた床は、現在では考えられない贅沢さ。補修を施して残された。張り替えるよりコストも手間もかかる作業を経て、ディテールに埋没した時間が美しく輝く。
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花崗岩の外壁白く優雅なテクスチャーの花崗岩の外壁。現在アトリウムとなっている空間はこの壁の外部で、荷捌き場だった。
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元のデザインを残した階段床面は、オリジナルの部分に加えて、色を似せて新たに焼いたタイルで補修している。
新たなランドマークとして再生され
四条烏丸に人の流れとにぎわいをつくる
祇園祭の鉾が並ぶエリアとして知られ、かつては町衆の活気にあふれた四条烏丸界隈は、戦後、河原町四条周辺に繁華街の中心の座を譲り、永らく空洞化した都心のようになっていました。そこに変化が兆したのは、2000年くらいから。河原町とは違う落ち着きを求めて、人の流れが烏丸通りに向かい始めました。
COCON KARASUMAは、その賑わいの中心となるべく、2004年に複合商業施設として誕生しました。デザインを手がけたのは建築家・隈研吾氏。氏が京都で初めて手がけたこのプロジェクトでは、建物のスクラップ&ビルドではなく「過去と現在、2つの時代の重なり」をテーマにしたリノベーションを行いました。
そのシンボルが、唐長文様「天平大雲」をフィーチャーした、ファサードのガラス。寛永年間創業の唐紙の老舗の文様が気鋭の建築家によるコンセプトのもと、最新のデザインと出会い、四条烏丸の新たなランドマークとなりました。
オフィス、映画館、飲食とさまざまな機能をもち、日常と非日常を心地よく刺激するCOCON KARASUMAの登場は、四条烏丸を再び活気ある街へと蘇らせました。
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唐長文様「天平大雲」COCON KARASUMAの外壁を覆っている緑色のファサードに描かれているのは江戸時代から続く唐紙の老舗「唐長」に伝わる文様「天平大雲」。唐長に代々伝わる約600以上ある板木の中から選ばれた。
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奥に深いアトリウム元半外部の荷捌き場に新たに創出された、街の賑わいを館内に導く開放的な空間。奥に深い京都の「うなぎの寝所」のイメージに、カスケード(滝)が潤いを添えた。
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トップライト2004年のリノベーション時のアトリウム。開業時のシンボルだったトップライトは、小口に木目調のフィルムが貼られていて、自然光が柔らかな色彩となり降り注いだ。
新旧のデザインをインテグレート。
WOOD-CLOUDをシンボルとした未来の建築が、
人のアクティビティを変える
2004年に隈研吾氏がCOCON KARASUMAで手がけたリノベーションは、サスティナブルな街とくらしのあり方を建築で示したさきがけでもありました。今回17年ぶりのリノベーションでは、唐長の文様「天平大雲」がたなびくファサードに雲をイメージしたウッドパネル『WOOD-CLOUD』を設けることで、新旧のデザインをインテグレート(統合)させます。そして、木目が美しい木のフロアと階段、アートやイベントにも使える2階のスペースなどが新たに登場。隈研吾氏は、この空間に描いた思いを、こう語ります。
おりしもCOVID-19が世界中で流行し、人々の生活は変わらざるを得なくなり、より風通しの良い空間が求められる時代となっています。街並みに対して、軒下のようなくぼみ、アクティビティが外部へ滲み出すようなテラスを設け、そのテラスと一体となった内部空間を作りました。テラスに設けられた『WOOD-CLOUD』は都市のダイナミズムと内部空間をつないでおり、木漏れ日のような陰影を作り出しています。
屋内は木の板が重なってランドスケープ(風景)のようなダイナミックな表情を見せる階段を新設し、重なった木の一部はカウンターやベンチの機能を兼ね備えることで、通路だった場所にも賑わいを創出し、烏丸通から、内部へと引き込む流れを作っています。建築によって人のアクティビティを変える、発端になるようなものをちりばめました。
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WOOD-CLOUD木のパネルによるパーツの重なりでつくられた『WOOD-CLOUD』。強度と重量のある木のパネルにランダムな動きを生み出すための施工にはきわめて高い技術が注ぎ込まれた。
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烏丸通を見下ろすテラス内と外との境をあいまいにすることで、建物にいながら野外のような開放感。2階は展示会やポップアップショップなどのイベントスペースにもなる。
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斜めに重なる木圧着して板にした材にはわずかに凹凸が生じるが、それを一枚一枚、手でカンナをかけて仕上げた。「木の重なりから生まれる地形のデザイン」という先鋭的なコンセプトに温かみを添える。
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ベンチのように使える階段階段の通路側の段差は、木のベンチのように腰掛けることができる。さりげないくつろぎのデザイン。
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guru-guru-lighting明るく大きくなった空間に雲のような照明を浮かべるイメージを持った隈研吾氏の発想が発端。前例のない試みは、技術者の豊富な経験と設計者との対話の積み重ねにより、ふわりとただよう雲となった。
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人工苔をあしらった天井一見、本物に見える人工苔をあしらった緑化スペース。木で覆われた空間に視覚的な潤いを感じさせるアクセント。
Architect
Photo © J.C.Carbonne
1964年東京オリンピック時に見た丹下健三の代々木屋内競技場に衝撃を受け、幼少期より建築家を目指す。大学では、原広司、内田祥哉に師事し、大学院時代に、アフリカのサハラ砂漠を横断し、集落の調査を行い、集落の美と力にめざめる。コロンビア大学客員研究員を経て、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。これまで20か国を超す国々で建築を設計し、(日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞、他)、国内外で様々な賞を受けている。その土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、やわらかなデザインを提案している。また、コンクリートや鉄に代わる新しい素材の探求を通じて、工業化社会の後の建築のあり方を追求している。
Photo © J.C.Carbonne